有名人・・・
有名人・著名人を認識し始めたのは中学生の頃であっただろうか。
当時の大学生達にははサユリスト・コマキストの全盛時。ちょうどタモリ氏がサユリストであったように。
別にサユリストでもなかったのではあるが、映画『キューポラのある街』で吉永小百合女史が主演ということもあり初めてファンレターなるモノを出した。
それからしばらくして事務所(確か・・・不確かな記憶ではあるが)から郵便が届いた。
中身を見ると吉永小百合のファンクラブ会報紙とブロマイドが入っており、会報紙には私の書いたファンレターが掲載されていた。
是で味を占めたわけではないが、有名人・著名人が結構身近に感じられた出来事であったようだ。

年を取るにつれて記憶というものは本当に薄れていくものである。
・・・”こうだ”とづっと思っていたことが実は全く違っていたり、とかが激しい。
ここで少し有名人・著名人との遭遇を記録しておきたい。なお、コンサートやステージなどをオーディエンスとして参加したものは除き、一言二言、まあ、挨拶程度でも交わした人たちを掲げたい。

初めて有名人・著名人と遭遇したのは大学時代である。
ジャズのフルバンド倶楽部に属した関係で学園祭時にバンドで『弘田三枝子』女史を招聘したことである。
1962年「ヴァケィション」のカバーがヒットし、1965年には「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場する実力派。
1969年の「人形の家」で日本レコード大賞の歌唱賞を受賞し、1970年には、「ミコのカロリーBOOK」を出版し150万部を超える大ベストセラーになる様な話題性のあったころで、学園祭の特別ホールでバックバンドをしたのである。
(もう若い方はご存じない方も多いと思いますが)

大学時代の最後にやはりバンド関連の”ダンパ”(・・・もう死語?)で迎えたゲストが『夏木マリ』女史。
2.3日前に譜面を渡され大急ぎで練習した記憶がある。
何曲かあったが憶えているのは「絹の靴下」。結構譜面的には細かい音符の繰り返しで難しそうと思ったのだが、吹いてみると以外に簡単だったのを憶えている。
確か”ダンパ”終了後色紙にサインとキスマークをもらったのを憶えている。
あの色紙何所にいったんでしょうね。
因みに大学の学食でよく『かたせ梨乃』女史を見かけた。同じ大学だったが、当然!話をしたことなど無い・・・残念。

社会人となってからは広告関係会社に就職したこともあり比較的有名人・著名人に接する機会があった。
(・・・年代が不明なので順不同である)

ちょうどバブル絶頂期である。企画が面白ければ予算はいくらでも通るというありがたい時代である。
そしてバブル期の象徴的企業である証券会社を担当しており、意外とイベントが多かった。
セミナーイベントでは”桐島かれん・ノエル・ローランド”の三人の母親でエッセイスト・ノンフィクション作家である『桐島洋子』女史。更にフランスのライフスタイルアドバイザー、エッセイストの『フランソワーズ・モレシャン』女史。以外にも元シャネル美容部長であった。
信託銀行の周年イベントでは当時はやっていたアメリカ横断クイズのイベント版を実施。
場所は出来て間もない頃の幕張メッセであった。
メイン司会はすでにフリーであった『福留功男』氏。”アメリカ・・・”の総合司会でもあり、当イベント実施も福留氏の事務所にお願いしたような記憶がある。
更に、当イベントのゲストに歌手『早見優』女史、新体操『山崎浩子』女史。
当時は新体操といってもまだメジャーではなく、披露する場所があるなら協力しますと確かノーギャラだったような気がするのだが。

イベントとは別に日本体育協会の”体育の日”ポスターを毎年制作していた。
是は10月10日中央記念行事を告知するポスターで毎年マイナーなタレントを起用していた。
記憶する範囲で『ribbon』永作博美、松野有里巳、佐藤愛子の三人のアイドルグループ。
『Bibi』って言ったと思うがやはりアイドル。
で、一番憶えているのが『光GENJI』
嘗て絶大なる人気を博したジャニーズ・アイドルであった。
何ゆえ良く憶えているかと言うと、大体この撮影は毎年代々木公園で行われていたが、当然撮影を見るヒトなどほとんど居ない。まあ、通りすがりのヒトがちょこっと見ていく程度であった。
だが、この恐るべし『光GENJI』、まだ正式なデビューもしていない時代にも関わらずどこで聞いてくるのか黒山の女の子。観客整理を行ったのは初めてであったため未だに覚えているのである。

当時、とある出版社(現在もある)を担当していた時に写真展や出版記念やパーティーなどでお会いした方が居る。
写真家(あえてカメラマンと言うほど軽くは無い)の『秋山庄太郎』氏。
この頃秋山先生と言えば週刊誌などで女性やヌードなどが一般的に知られた方であったが、実は花の撮影がお好きだったようで、バラなどの写真などは、素人の私が見ても本当に綺麗な写真で、認識を新たにしたものであった。
芸術家と言えばこの方『岡本太郎』氏。先生はパーティなどで2、3度お目にかかった程度で勿論お話を一方的にお聞きするだけで、こちらから何かを話しかけるなんて・・・とんでもないことであった。
でも、お話の内容が余りにもレベルが高い!?ので良くわかりませんでした。
(でも、確かにCMにあったように「爆発」って言葉はお使いになられていた)
次は出版記念か何かのパーティでお会いしたのが『池田満寿夫』氏。たしか『佐藤陽子』女史も一緒におられた。
更にフラメンコの『長嶺ヤス子』女史。もう、圧倒された。人生イコール”パッション”的なオーラがビンビンと伝わってきたのを憶えている。

料理・食品関係ではまず『ロザンナ』女史。あの”ヒデとロザンナ”の『ロザンナ』さんである。
確かイタリアの食文化とか何とかの取材であったが、大変真摯な姿勢の方だと思った記憶がある。
次が『竹内富貴子』女史と『浜内千波』女史のお二人の料理研究家。
ある企業の「おべんとうコンテスト」でコンテスト告知用の撮影用お弁当を『竹内』先生に作っていただいた。
実際はこれで終わりのはずだったが、コンテストに応募されたもののなかで受賞した作品を広報誌に載せることとなった。
しかし最初からの予定ではなかったため受賞作品の撮影ができず、とりあえずインスタントカメラで撮っておいて後でお弁当を復元し正式な撮影を・・・という無謀な計画をたてた。
実際30点くらいあったと思うがお弁当の復元を『竹内』先生にお願いしたのだが、突然のお願いなので都合がつかない。そこでお願いしたのが『浜内』先生である。
結構、大変な仕事にも関わらず快く受けていただいた。
実際復元すると本当においしそうで、撮影が終わったもを食べようと味見を・・・
でも何かマズイ、それと無く失礼を省みず『浜内』先生に言うと・・・
「あ、それ海苔がペシャッとならないように防水スプレーかけてあるから、食べない方がいいわよ」
・・・ごもっともでした。
お二方共にほんと好印象でした。

最後にとあるテレビ局。
局発行の月刊誌を制作していた当時(当然今はもう無い)、インタビュー記事を入れるため局アナにお願いすることになった。
どなたにお願いしようかと選考を・・・するもしないも私の一存で『中井美穂』アナをお願いした。
当然結婚もされておらず、そういう話も無い頃であった。ホント”めちゃ可愛かった”
唯一取材後ツーショット写真を撮らせていただいた方である。
次の制作時にはまた選考を・・・するもしないも私の部下の一存で『河野景子』アナをお願いした。
言わずと知れた現・貴乃花親方の奥方である。
実際、”きれい”の一言と言う印象だった。
結局2回で終わってしまったが結構”おいしい仕事”で、まだ河田町にあった時代である。

様々な有名人・著名人とのほんのちょっとの触合いで大分色あせてはいるが、私にとっては”思い出の宝石箱(ダサッ!)・・・や”
(*何分古い話の記憶なので全て正しいかどうかは定かではありませんのご了承下さい)
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