最後の一言
織田信長が本能寺で明智光秀に攻められ小姓の森蘭丸が「明智光秀謀反!」と告げた際、「是非もなし・・・」或いは「是非に及ばす・・・」と呟いたとある。
これについて”是非を論じている場合ではない”とか”光秀なら仕方が無い”とかの解釈があるそうですが、いずれにしてもこれが信長の遺言的に扱われている言葉です。
まあ、信長ももうちょっとハッキリ云っておけば後世でこんな議論をする必要も無かったでしょう。
「あっ、ヤバイ。やっぱり光秀ちゃん怒っちゃった。そっか・・・う、取り囲まれちゃったのか。なるほど、もう戦うっきゃないのね。結構ここでやられるのかもね」なんて言ってくれれば良かったのにね。

ヒトの最後の言葉(遺言ともちょっと違う)って言うのは、やはりそのヒトの性格と歩んできた人生によって違うんだろうな。
先の信長は最後までじたばたせず帝王学・・・否、ある種の哲学を持っていたのではないかとも思われる。
しいて言えば”美学派”?

ではいくつかのパターンを見てみよう。
”美学派”
「ばかものどもめ。大義を思うものは最後の瞬間まで命を大事にするのだ」石田三成
「西郷、もう大抵にせんか」木戸孝允
「切腹というのは腹を一文字に掻き斬る者が多いが、古法によると十文字と三文字が作法だそうだ。拙者はどちらかの方法で死ぬつもりだ。世の中の人々に半平太の心が乱れたからと言われるのは心外であるから、半平太の心構えを同志に伝えてくれ」武市半平太
「おもしろいのう」高杉晋作
「どうも僕にはわからない。」 野口英世
「今年の花火はどこへ行くかね? 」山下清
「涼しい風が吹いてくる 」島崎藤村
「馬鹿なことを言うな。最期の言葉なんてものは、十分に言い尽くさずに生きてきたアホどもの言うことだ。 」カール・マルクス
「いっぱい恋をしたし、おいしいものを食べたし、歌もうたったし、もういいわ。」 越路吹雪

”未練派”読んで字の如くまだこの世に未練のあるタイプ。
「源頼朝の首を我が墓前に置け」平清盛
「七回生まれ変わって、朝廷の敵を倒す」楠木正成
「たとえ我が身が吉野の苔に埋まろうとも、魂は京都御所の天を臨んでいる」後醍醐天皇
「死後のことよりも、今の世の行方が気がかりである。せめてあと5年の命を得て、秀頼様が天下を治めるのを見届けたかった。 」前田利家
「死ぬとこまるから・・・」夏目漱石
「これから小説を書かねばならない・・・。小説を・・・」谷崎潤一郎
「それでも地球は動く」ガリレオ・ガリレイ
「となりの部屋へ行くんだ。仕事をする。仕事をさせてくれ」手塚治虫

”現実派”死に対して正面から向き合って・・・とでも言うタイプ。
「じゃあおれはもう死んじゃうよ」幸田露伴
「俺は脳をやられた。もういかん」坂本龍馬
「その時、私は何になっているのでしょう。石にでもなっていましょうか」樋口一葉
「死ぬよ」吉村昭
「人の苦しがるのを見るの不愉快でしょう。あなた、あっちへ行ってなさい。 」小泉八雲
(注射をしにきた医者に向かって) 「もう結構です。そっとしておいてください。 」キュリー夫人
「私に音楽を聞かせておくれ。もはやその時だから、お別れは死の歌を歌っておくれ。」 バッハ
「ガンで死んだ顔は家族以外には見せたくない。家族三人でみとってくれ。」 渥美清

”天国派”死後の世界を美しく考えるタイプ。
「老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。全く人間の生涯というものは苦しみの連続だ。」 高村光太郎
「桜の咲くころは、きっと鎌倉の家へ帰って、お花見するからね。 」田中絹代
「天国では、耳が聞こえるようになっていてほしいな。 」ベートーベン
「きっと、私もう死ぬのね。雨が大好き。顔に当たる、あの感触が恋しいわ。 」キャサリン・マンスフィールド
「よろい戸を開けてくれ。光を・・・、もっと光を・・・・・・。 」ゲーテ
「じゃあ、また。いずれあの世で会えるんだから。 」マーク・トゥエイン
「がんばります。」 美空ひばり
「逝く空に 桜の花が あれば佳し 」三波春夫

まだまだ多くの名言があるのだろうが、自分は一体どんなことを呟いて終わるのだろうか。
最後に一言・・・「コレデオシマイ」勝海舟

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